2013年10月6日日曜日

【患者のいないMR研修】2012年5月12日

4年前の雑誌連載で、私は下記のように指摘しています。

『MRは、これまでの営業体制では、“医療の厳しさ”をまともに体感する機会がありません。MR本人が患者の前で評価を受ける状況というのは稀なはずです。
会社によっては診療現場の見学を取り入れている事例もあるようですが、これもその場を離れれば忘れてしまう。
そのためか、MRは“医師からどう見られるのか”を過剰なほど気にしています。
実際は医療の主役である患者からどう見られるのかを気にすべきはずが、ターゲット違いの発想を長年抱え込み続けてきたのです。閉じた社内での討論結果の限界点とも言えます。』


営業経験の豊富な指導者(研修部門)が、自社に良かれと思って、医師のニーズを探すような教育を純粋無垢なMRへ繰り返すと、患者という真の消費者から離れ、処方権限に対して強い片思いをもつMRが増産されてしまいます。
「医療についてのリアリティが欠如したMR」が、社内研修によって育成されてしまうのです。とくに、新卒・中途採用の導入研修が危うい。

「先生のお役に立ちたい」といったMRの発言は、医師の診療行為を支援する医薬情報をもって「患者さんを助けたい」という発想のはずです。
ところが就職前に抱いていたであろう、こうした理想は「営業人員を育成する」「MR認定試験に合格させる」ための集団研修に没頭させることで、「担当医師のニーズを掴んで、自社製品の処方数を獲得し、ライバル製品を退け、圧倒的な業界プレゼンスを発揮する」といった方向へと変質しやすい。

教育を考える雇用側からすれば、MRは営業人員(で十分)という発想を捨てきれないからです。いちいち、各MRの社会的な貢献度まで加味するほど、日々の業績に余裕があるわけではないからでしょう。

文句を言わず、マーケティング部門と営業本部の意向を聞き、医師との面会中にキーメッセージを忘れず、学術部門の足を引っ張らないMRのほうが扱いやすい。飛び抜けた個性は、MRに邪魔だと思われているのかもしれません。

けれども、医療というのは各専門家が患者の個別病状に対して、最善の解を求めつつける業界です。それは、臨床医でも研究者でも同じで、「医は仁術」といった善意を中心に据えることで、社会からの存在の承認を得てきた業界なのです。本気でこの医療業界に馴染むのであれば、やはり最前線におもむくMRたちにも同水準の言動が必要となります。

では、「患者さんを助けたい」というMRの理想を、どうやってMR研修の中で尊重できるのでしょうか?

もっともリアリティがあるのは、医療現場でのMR実習ですが、これは個人情報保護を含めて、難しい面が多くあります。そこで、私は医学部教育と同様に、「架空症例の臨床問題を医師と共同で解く」ことをMR研修に取り入れています。

つまり、私が担当製品群に合わせて作成した架空患者の病状経過について、治療薬の説明だけでなく、医師視点を合体させて、グループ討論・発表させるのです。「医師の症例発表と同じ水準」を目指していますので、各MRは主訴や既往歴、検査結果を総合的に判断し、最善の治療法を考え出すという、社内研修だけでは困難な臨床的経験をすることができます。

当然、MRから求められる医学的助言には、医師である私が正確に答える必要がありますし、発表中は意見の相違を調整していく能力が求められます。2011年度に某製薬企業で10回ほど研修する機会がありましたが、毎回がお互いに”真剣勝負”でした。成功させるためには、優秀な社内担当者たちの実力も必要です。

こうした専門研修を通じて、臨床知識がなければMRのディテーリングは改善しないと痛感した参加者には、これからは製品知識だけでは不十分だという、大きなモチベーションを与えることができます。臨床が分かれば、MRの能力は飛躍的に伸びるのです。

会議室内で行われる「患者のいないMR研修」ではあっても、一線の臨床医が参加することで、リアリティは大きく増します。
この研修を行うたび、MRの職能は研修方法によって、格段に伸びると感じるのです。

やはり、MR研修は新段階へと進化すべき時期なのでしょう。

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